2015年1月24日土曜日

高橋雅延『記憶力の正体--人はなぜ忘れるのか?』

以前、下町探検隊のK隊長と飲んだとき、たしか僕がKさんはどうやって煙草を止めたのですかと質問したときのことだと思う。
「忘れちゃえばいいんですよ」
という思いもかけない答が返ってきて驚いた憶えがある。
Kさんは何を言いたかったかというと、人間はついつい憶えていようとする、思い出そうとする。記憶しておくことが美徳で忘れてしまうことが罪悪のように思われがちである。果たしてそうだろうか。憶えておくことがたいせつなように忘れることもだいじなんじゃないだろうか。たとえば嫌なことがあったら積極的に忘れてしまえばいいじゃないかというわけである。
たしかにこの本を読むと記憶力がよすぎるというのも不幸だということがわかる。「記憶力」という言葉に憧れを持つのはたいてい受験生時代に苦労した人たちだ。
記憶力がよすぎると日々刻々を反芻しながら生きていかざるを得ず(超記憶症候群というのだそうだ)、過去の記憶に翻弄されてしまう。事例が紹介されているが、そのひとりは絶え間なくフラッシュバックされる記憶のせいで授業に集中できず、学校の暗記ものは苦手だったという。
記憶というとつい頭で憶えているものと思われがちだが、必ずしもそんなことはなく、記憶を喪失した女性の身元を割り出すためにそばに電話器を置いたらなんと自分の家に電話をかけたという。頭の記憶に対する身体の記憶というわけだ。
Kさんは煙草を吸っていたことを忘れてしまえばいいという。ただでさえもの忘れが激しくなったのだから何も要らない習慣を憶えておく必要なんてない。
「多くの忘却なくしては人生を暮していけない」という「フランスの作家オル・ド・バルザック」のことばが引用されている。忘却力がなければいつまでも過去の暗い記憶にとらわれ、人生を前に進められないという。「オル・ド」ではない。バルザックは「オノレ・ド」だ。
そんなことを憶えているからいつまでたっても煙草をやめられないのだ。

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