2015年1月14日水曜日

山田敏弘『その一言が余計です--日本語の正しさを問う』

母は佃に住む叔父夫婦を頼って南房総千倉町から東京に出てきた。
中学校を卒業して高校に進みたかったそうだが、父親が病に臥し、あきらめざるを得なかったという。佃島の渡し船で対岸の明石町にある洋裁学校に通い、その後銀座のデパートの社員募集に応募して採用された。高卒といつわり、年齢もひとつ上にして書類を送ったという。そう助言したのは母の兄、僕の伯父である。戦後の一時期、洋裁がブームになったとどこかで読んだおぼえがある。
伯父は建築事務所に勤めながら、夜間の大学を卒業し、赤坂丹後町に家を買った。その後母も佃の叔父夫婦の家を出て、兄と暮らすようになる。銀座への通勤は赤坂表町という停留所から都電に乗ったという。たしかに地下鉄の赤坂見附駅より近い。
母が結婚すると伯父の家には母の妹が移り住んで、伯父の結婚後は中学校を卒業した母の弟が住むようになり、そこから高校大学へ通った。
伯父はずいぶん前に他界しているが、赤坂丹後町の後は六本木(麻布今井町)に引越した。
週末、実家の母親に会いに行くとこんな話に花が咲く。昭和20年代後半から30年くらいの東京にタイムスリップするのである。
日本語に(おそらく)限らないだろうが、ことばというのは難しいものだ。
ことばが乱れるなどという。本来の意味が失われ、誤解されたまま流通することも多い。文法的に正しい言い回しが省略されたりするなどして間違った語法のまま若者たちに定着していく。それが最近のことに限ったわけではなく、いつの時代も問題視される。
ことばは生きものだともいう。Aという言葉があらわす意味がBになったとしても、それが多数派であるならば、AはBを意味することになる。ことばはある意味、民主的なのである。
自分が使っている言葉(やことば)が間違っていないだろうか、おかしくないだろうか。そんなことがときどき気になってこういう本に目を通してしまうのである。
この本は言葉の変容を正しく知りつつも、上手に付き合っていきましょうという主旨で書かれている。

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