2025年4月29日火曜日

嵐山光三郎『新廃線紀行』

廃線と聞いて、そこはかとないイメージを浮かべる人とそうでない人がいる。夏と聞いて胸ときめかす人とそうでない人がいるように。
正直に言うと僕はそこはかとないイメージを浮かべてしまう。さらに廃線にそそられる人のなかでいてもたってもいられない人もいればそれほどでもない人がいる。前者の代表的存在は宮脇俊三だろう。僕はなくなった鉄路を見い出しに旅に出ようとまでは思わない。
高校生の頃、学校の最寄り駅である今のJR飯田橋駅に隣接するような形で飯田町という貨物駅があった。ずいぶん前に貨物駅はなくなり、再開発されて、ショッピングモールになっている。その飯田橋アイガーデンテラスに向かう途中に貨物駅時代の線路が遺されている。
その昔、武蔵野グリーンパーク球場というスタジアムがあった。かつて中島飛行機の工場の引き込み線を利用して三鷹駅と武蔵野競技場前駅を結ぶ中央線の支線が開通した。野球場はあまり利用されないまま取り壊され、中央線の支線は廃線になった。
JR三鷹駅の北口を出て、太宰治でお馴染みの架線橋の辺りから弧を描きながら北に向かう遊歩道がある。武蔵野競技場戦の廃線跡である。この先で線路は玉川上水を渡るが、その橋にレールが埋め込まれている。かろうじて廃線の痕跡であることがうかがえる。
この本にも取り上げられているが、軽井沢から草津に向かう鉄道があった。JR軽井沢駅の駅前に当時の車両が遺されている。日本初のカラー映画木下恵介監督「カルメン故郷に帰る」では高峰秀子がこの草軽電気鉄道に乗って故郷の北軽井沢駅に帰るシーンが映し出される。線路跡は山の中に隠されてしまったが、北軽井沢駅だけは遺されている。
以上が僕の廃線紀行である。
川本三郎や関川夏央の著書で文人が愛した鉄道旅が紹介されている。編集者として多くの作家と接点があったでろう嵐山光三郎も鉄道旅好きな文人だった。
それにしても廃線めぐりは過酷極まりない旅である。

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