2025年6月27日金曜日

内館牧子『大相撲の不思議2』

大相撲をテレビで見るようになって最初に惹きつけられたのは横綱の土俵入りだ。なにせ、大鵬、北の富士、玉の海と3人も横綱がいたんだから。現役として最晩年を迎えつつあった大鵬はゆっくりと、そしてその取り口のようにしなやかだったし、北の富士はイケメンで体躯もあってスケールの大きい土俵入りを披露していた。僕が好きだったのは玉の海。丁寧で大きな所作。小柄な力士であったが、指先がしっかり伸びている、掌をきちんと返す。風格が感じられた。
最近だと白鵬の土俵入りが気に入らなかった。横綱土俵入りはまず両腕(かいな)を大きく振りかぶって柏手を打つ。さらに両腕を振りかぶって塵手水の所作を行う。白鵬の場合、この一連がこじんまりし過ぎている。余計なパフォーマンス好きの白鵬が小さな不知火型を貫いたのは何かわけでもあったのだろうか。しなくてもいい所作があるのに基本動作はなっていない。
新横綱大の里の土俵入りはいい。大きな身体をさらに大きく見せる豪快さがある。大鵬や貴乃花、稀勢の里ら二所ノ関一門らしい土俵入りだ。強いて言えば柏手を打つ前に左右に広げた両腕は少し曲げてもいいし、少し静止してもいいかなと思っている。今のままでももちろんいい。やがてこれが大の里の土俵入りだと広く認知されるだろうから。
白鵬(元宮城野親方)の退職は残念だが、致し方ないところか。相撲協会が冷遇し過ぎるとの声もあったが、朝青龍にしても白鵬にしても相撲に対する理解に乏しいわけではない(特に白鵬は勉強熱心だった)。人を敬う気持ちと謙虚さに欠けていただけだ。勝ち星を多く重ねることが相撲ではなく、人としての完成度を高めるために不断の努力を積み重ねることが相撲道なのだ。鳴戸親方(隆の里)は稀勢の里を育てた。伊勢ヶ濱親方(旭富士)は照ノ富士を再起させた。大相撲の伝統を後世に伝えていくのに大切なのは人間性であり、優勝回数ではない。
白鵬は大切なものを見誤った。

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