自分が生きてきた時代に対して不平や不満を持つことはなかったように思う。
都立高校を受験するとき、当時は学校群制度というものがあって、特定の高校を志望するのではなく似たようなレベルの学校が2校~3校ずつグループ分けされていて、そのグループを受験するしくみだった。僕が受けた群には3つの学校があって、そのうちのひとつに割りふられた。自宅からはいちばん遠い学校だったが、取り立てて不服はなかった。
大学受験のときは翌年から共通一次が導入される年だった。浪人すると国公立は一校しか受験できなくなる。できれば浪人はしたくなかったのでどこでもいいから(と言っては失礼だが)合格したかった。ちょっとしたプレッシャーはあったが、どうにかこうにか受かった。
仕事をするようになってバブルになった。深夜、タクシーがつかまらず、やれやれな日々を送った。昭和55(1980)年から平成にかけては思い出しただけでもぞっとするような忙しさだった。
著者は昭和の世代定義を以下のようにしている。昭和19年生まれまでの「戦争体験世代」、20〜27年生まれの「発展請負世代」、28〜34年生まれの「センス確立世代」、それ以降に生まれた昭和後期世代。昭和後期世代が圧倒的に長期に渡っている。著者自身は昭和40年生まれ。
さらに昭和を終戦までの初期、復興がすすんだ昭和30年までの第二期、「もはや戦後ではない」から五輪、万博を開催した昭和45年までの第三期(ここまでが昭和中期)。そして46〜54年、発展と混乱、そして公害の時代である第四期、55〜64年の第五期は技術大国ジャパンとバブルの時代と位置付けられている。
これらの定義が妥当かどうかはわからない。当然偏りがあると思うが、われわれ「センス確立世代」は昭和後期の第四期に中学生〜大学生までを経験し、社会に出てから何年か第五期を生きた。いずれにしても懐かしく愛おしく、恥ずかしい時代である。
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