2025年5月9日金曜日

司馬遼太郎『胡蝶の夢』

江戸幕末期の奥医師松本良順に関しては吉村昭の『暁の旅人』で読んでいる。嘉永、安政から維新にかけては様々な人物があらわれ、それも幕府側でない人物のその足跡を辿るのが面白い。川路聖謨や彰義隊の話が今ひとつ盛り上がりにかけると思うのは性格的なものだろうか。最後まで徳川に付いた松本良順にさほど強い印象を残さなかったのもやはり性格か。
司馬遼太郎が良順を追いかけると何故か面白い。司馬は講談師や噺家のように当時の社会を解説してくれる。サービス精神が旺盛なのだ。この話、文庫上下2冊でいいんじゃないか、ってな物語を4冊にする。司馬が高野長英の逃亡劇を書いたらおそらく『ジャン・クリストフ』くらいの大長編になるだろう。
実父は佐倉順天堂の佐藤泰然であり、幕臣の養子になった良順は血統的には申し分ない。徳川慶喜、勝海舟、新撰組らとの接点はあるものの基本、順風満帆なストーリーとなっておかしくない。が、そこに島倉伊之助という異物が混入される。
伊之助は後に司馬凌海という名で歴史に残る人物である。祖父伊右衛門に学才を見出され、子どもらしい時代を過ごすことなく、読書に没頭する。抜群の記憶力を誇り、江戸に出て良順の弟子になる。その後順天堂に学び、一旦佐渡に戻るが、長崎に留学した良順に呼ばれ、オランダの医師ポンペに師事する。長崎ではオランダ語の他、中国語、ドイツ語などをその突出した記憶力でマスターする。社会性という点では致命的に欠落しているにもかかわらず、記憶力に関してはある種の奇形ともいえる。
司馬遼太郎は徳川の身分制度に着目する。士農工商といった固定化された身分があらゆる制度を維持し、長きにわたって政権を支える。諸外国からもたらされた文化によって身分制度が疑問視され、やがて徳川幕府は崩壊する。
良順は平民ですらない者たち、後に言う被差別部落民らとも接触を持ち、その不平等是正に乗り出す。象徴的なエピソードだと思った。

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