子どもの頃から見ていたスポーツは野球と大相撲だ。無人島にひとつだけスポーツを持っていっていいとしたら、このいずれかで相当悩むと思う。
大相撲をテレビで見はじめたのは北の富士と玉乃島が横綱に同時昇進した直後ではないか。大鵬、北の富士、玉乃島改め玉の海、三横綱の時代がはじまったところだ。大関は琴櫻、清國、前乃山、大麒麟、豪華な顔ぶれだ。大鵬が貴ノ花に敗れ、引退を決意し、玉の海が二十七歳で急逝する。それからしばらく北の富士がひとり横綱になった。若手の貴ノ花、大受、学生横綱の輪島らが台頭する。昭和四十六~七年のことだ。
内館牧子は脚本家になる以前、幼少の頃から大相撲を見てきたそうだ。ファンであるのみならず、後に東北大学大学院にすすんで、「土俵という聖域――大相撲における宗教学的考察」という修士論文を書いている。筋金入りの大相撲ファンから相撲研究者にまで登りつめた。
長年大相撲中継を見ていると相撲に関する知識がそれなりに身に付いてくる。歴史や作法とその言われなどなど。それでも土俵はどうつくられるのか、懸賞金とは?屋形とは?などと訊ねられたらきちんと答えられるだろうか。もちろん答えられたところで何かの役に立つということもないのだが。
しばらく野球の本ばかり読んでいた。そのうち大相撲五月場所がはじまり、大の里という新しい横綱が誕生した。いい機会だから相撲の本を読んでみようと思った。
村松友視が著書『私、プロレスの味方です』のなかで「ちゃんと見るものは、ちゃんと闘う者と完全に互角である」と書いている。この本のなかで著者が紹介している。先日読んだお股ニキもそうだが、ひとつの競技をとことん見ることは大切なことだ。野球も大相撲も大好きだったが、今頃になって僕はたいして熱心なファンではなかったことに気付く。別段、スポーツに限る話ではない。何事においてももっと勉強しておけばよかったと思う今日この頃である。
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