2020年4月27日月曜日

野呂邦暢『一滴の夏』

今田孝嗣という同級生がいた。
小学校の頃、好き嫌いがあって給食を残す生徒がいたため、あるとき担任の教師が全部食べ終わらないと昼休みに遊んではいけないというルールをつくった。給食をとっとと食べてしまえば、いくらでも遊ぶことができる。多少苦手な食材があっても遊びたい子どもたちは鼻をつまんでのみこんでいた。先生の打ち出した改革案は奏功した。
だが、今田だけは別だった。
彼には友だちらしい友だちがいなかった。休み時間に誰かといっしょに遊ぶこともなく、会話することもなかった。好き嫌いがあったのかなかったのかもわからない。ただただ食が細く、給食はいつも残していた(パンは持って帰っていた)。身体も小さく、痩せていた。彼にとっては昼休みの遊び時間があろうがなかろうがたいしたことではなかったのかもしれない。
聞くところによると、今田は両親とではなく、お祖母さんと暮らしているということだった。年寄りに甘やかされて育ったのだろうと、当時子どもながらに思ったことがある。
どうでもいいような記憶がときどき呼びさまされる。彼のことを思い出したところで、会ってみたいとも思わないし、消息を知りたいとも思わない。しかしなぜだか気にはなるのである。不思議だ。
野呂邦暢。はじめて読む作家である。
湧水が水たまりをつくり、そのうちにくぼみを見つけては少しずつ流れ出して川を形づくっていくような、気になる文章を綴る。都会のシーンでは高度経済成長期の埃のにおいがし、故郷である長崎諫早の風景は地方都市の哀しげな空気を漂わせる。これまで読んだことのないタイプの小説家だ。
野呂は古書店を愛した作家としても知られているという。大田区山王の古書店主関口良雄が書いた『昔日の客』に登場する(残念ながらまだ読んでいない)。
どこか遠くに置き去りにしてしまった風景を思い出させる。
昼休みが終わって、5時間目の授業がはじまる。今田はひとり、給食を食べていた。

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