2020年4月15日水曜日

吉村昭『深海の使者』

就学以前の記憶である。
横浜ドリームランドという遊園地があった。幼稚園の遠足で行った憶えがある。どんなアトラクション(もちろん当時はアトラクションなんて言葉は知らない)があったかほとんど記憶にない。唯一憶えているのは、潜水艦である。
潜水艦といっても本当に海中に潜るのではなく、潜水艦状の乗り物が滝の中に入り込んでいくとそこが海中になっているという代物。窓外に深海の様子を見ることができたと記憶している。
当時、週刊少年サンデーに『サブマリン707』という冒険漫画が連載されていた。漫画は月刊誌を一冊だけ許されていたが、週刊誌は立ち読みするくらいしか接する機会がなかった(少年マガジンも少年キングももう少し大きな子どもが読むものだった)。それでも当時、「潜水艦」という言葉は幼年の心を震わせる響きがあった。
潜水艦に関する本を読んだり、映画を観たこともあった。事故が起こり、酸素とともに意識が薄れていく。壮絶で静かな死が待っている。潜水艦内では死体が腐乱しないという。酸素がないので微生物も生きられないのだ。吉村昭の『総員起シ』だったか、そんなことが書かれていた。
太平洋戦争当時、日本はどうやってヨーロッパの枢軸国と連携をとっていたのか。
無線電信があっただろう程度にしか思っていなかったが、無線は暗号を使ったとしても傍受される。さらに発信した位置を特定されてしまう。飛行機はどうか。日ソ中立条約のため、日本の航空機はソビエト領空を飛ぶことができない。北回りの航路はまだ未知数。ソ連領土を迂回する南回りでは長距離過ぎる。船舶は南アジアやアフリカ沿岸などの制海権をイギリスに握られている。インド洋から大西洋に出るには南アフリカのケープタウン沿岸を回らなければならない。もちろんそこにはイギリスの海軍と空軍が待っている。
日本からドイツへ、ドイツから日本へ。潜水艦による長距離航行だけが残された道だった。

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