2020年4月1日水曜日

大場俊雄『早川雪洲-房総が生んだ国際俳優』

映画撮影の現場ことばで「セッシュ(あるいはセッシュー)する」という用語がある。
とりたてて専門用語というほどのことではないが、画面上高低のバランスがよくないとき、低い方に下駄を履かせて(実際には箱馬か平台にのせて)、構図を調整することをさす。
1900年代はじめ単身でアメリカに渡り、ハリウッドスターになった早川金太郎(雪洲)は女優たちにくらべて身長が低く(172センチといわれている)、ツーショットのシーンなどでは踏み台にのせなくてはならなかった。こうした撮影現場での工夫はそれまでも行われてきたが、早川雪洲によって言語化されたというわけだ。多少なりとも日本人に対する偏見があったかもしれない。
「セッシュする」はその後、人物だけではなく、撮影する被写体全般にも使われる。小道具や撮影用商品もしばしば「セッシュ」される。
1907(明治40)年、房総沖でアメリカの大型商船ダコタ号が座礁する。
白浜や乙浜、七浦など地元集落から漁船を出すなど、大勢の村人が救出にあたったという。そのとき、通訳として活躍したのが東京の海城学校(現海城高等学校)で海軍士官学校をめざして英語を学んだ雪洲であったと地元では語られていた(語っていたのは実は千葉県七浦村、現南房総市千倉町出身の母だったりする)。ところがそれは事実ではないらしい。調べてみると通訳にあたったのは雪洲の兄であった。ハリウッドに渡って大スターになった地元の英雄早川雪洲が伝説化して、いつしか語り継がれてしまったのかもしれない。
著者大場俊雄は、館山市出身。東京水産大学(現東京海洋大学)を卒業後、教職を経て、千葉県の水産試験場であわびの増殖の研究に従事していた。千倉町の漁業関係者に聞き取り調査をすすめているうちに伝説のスター早川雪洲の存在を知ったという。
研究者ならではの綿密かつ正確な調査が雪洲の正しい生涯を明らかにする。背筋の伸びたきちんとした著作である。

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