2020年4月23日木曜日

吉村昭『大黒屋光太夫』

1997年に東京湾アクアラインが開通するまで、川崎・木更津間にカーフェリーが運航していた。父が南房総に帰省する際に利用していた関係で何度か乗船した記憶がある。1時間ほどの船の旅だったと思う。
東京湾を横断するフェリーとしては久里浜・金谷間の東京湾フェリーが健在で、数年ほど前だが館山まで所用で出かけた帰りに乗ってみた。40分ほどのアトラクションだった。
普通に陸上で生活していると船の乗る機会はほとんどない。船に乗りたくて、浅草を散策するのに日の出桟橋から水上バスに乗ったのもやはり数年前(このところ数年前のできごとがいつのできごとだったか正確に思い出せない)。
鉄道が発達する前、海にしろ川にしろ、船は重要な交通手段だった。滅多に乗らない船ではあるが、もしこのまま大しけになって難破したらどうなってしまうのだろうとか航行不能に陥って、流されるままに漂流を続けたらどうなっちゃうんだろうかと果てしなく広がる水平線を眺めながら想像する。
大黒屋光太夫は伊勢から江戸に向かう途中、駿河沖で暴風雨に会い、漂流を余儀なくされる。黒潮に流されること7か月、漂着したのはアリューシャン列島の小島だった。と、ここまででもたいした冒険譚なのだが、これはほんの序の口。
井上靖も同じ題材を小説にしている。『おろしや国酔夢譚』は佐藤純彌によって映画化された。鎖国下の日本人が酷烈な気候の見知らぬ国で生きていくことの難しさは想像を絶するものがある。どうせ漂着するなら南の島がいいなと個人的には思う。
それにしても18世紀江戸時代の漂流事件がこれほどまでに克明に描かれているのは、光太夫がはじめて出会う土地、人々、生活などを事細かに筆記していたからだという。矢立から筆を出して、なにがしか書きとめている姿は映画(光太夫役は緒形拳)でも再三登場する。
見知らぬ国に流れ着いたこともたいしたものだが、逐一メモをとっていたこともすごいことだ。

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