2005年2月15日火曜日

ロバート・ジェームズ・ウォラー『マディソン郡の橋』

今日は昼過ぎから、神奈川美術展、通称神奈美展を見にゆくため横浜の神奈川県民ホールへでかけた。神奈美展に足を運ぶのは2年ぶりだ。僕の仕事上の直接的恩師にあたるMさんや絵コンテライターのHさんが出品している関係でかつては必ず足を運んだものだ。

雨が降っている。差し出した手のひらに滴が落ちる雨ではなく、全体がしっとり湿る、そんな雨だ。

京浜東北線で桜木町に向かう間に『マディソン郡の橋』を読み終えた。天才カメラマン、ロバート・“ハヤブサ”・キンケイドとアイオワの農夫の妻、フランチェスコ・ジョンソンの恋物語だ。その恋はあまりにも短い間で燃え上がり、その思いは20年以上持続する。これはふたりの4日間と20数年の物語だ。

キンケイドは自らをハヤブサ=放浪者にたとえた。僕はこの本を読みながら、クリフォード・ストールの『カッコウはコンピュータに卵を産む』を思い出した。情報が電子というメディアを通して、瞬時に伝達される時代と、手紙や電話のやりとりもなく支えられた人の思いというものを考えてみた。

僕は写真が好きで何台かのNikonをもっているが、彼の写真を創造するエネルギーに感服したし、もしまだ屋根付きの橋がアイオワに現存するのであれば、いつか彼と同じように105ミリのニッコールをつけてねらってみたいと思う。

Hさんの絵はいつもの透明感を保ちながら、油独特の深みが増してきたような絵だった。Mさんの雪の絵は、Mさんらしいソフトフォーカスのかかった風景画だった。どちらかというとMさんの絵は風景画というよりももっと集落に住む人の生活や生き方を描いたジャンルの絵ではないかと思っている。
(1993.4.30)

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