2016年10月23日日曜日

田勢康弘『島倉千代子という人生』

小学生3年か4年の頃、社会の授業で品川区の地図をもらった。
授業中にひろげて、先生の言うこともそっちのけで、品川駅は港区にあり、目黒駅は品川区にあるなどという発見に興奮したものだ。当時あって、今なくなった駅もあれば当時なくて今ある駅もある。横須賀線の西大井駅はなかった。今の横須賀線は品鶴線と呼ばれる貨物専用線だった。
なくなったのは京浜急行の北馬場と南馬場。京浜急行が高架化されるにあたり統合され、新馬場となった。馬場という駅がないにもかかわらず、「新」が付いた。1976年。僕はもう高校生になっていた。
京浜急行は廃止された駅が多いという。立会川駅と大森海岸駅の間にあった鈴ヶ森駅もそのひとつ。戦時中の1942年に廃止されているからずいぶん昔の話だ。
新馬場駅を降りると第一京浜国道の向う側に品川神社、目黒川沿いに荏原神社がある。島倉千代子が地元商店街の「若旦那楽団」の一員としてアコーディオンを弾きながら歌っていた社である。旧東海道を中心に商店街が連なっている。今も若旦那が出てきそうな店構えもある。島倉千代子の生まれ育った家は荏原神社の裏手だったらしい。
この本を最初に読んだのは出版当初のことだから1999年くらいか。単行本は誰かに貸してそれっきりになっていた。電子版が刊行されていることを最近知り、再読する。
島倉千代子がヒット曲を連発していたのは50年代半ばから60年代前半だと思う。僕がリアルタイムで見聞きしていた当時のヒット曲は「ほんきかしら」や「愛のさざなみ」くらい。いずれも60年代後半、島倉は30歳になろうとしていた。若い流行歌手が次々にあらわれてヒット曲を披露していく中で島倉千代子はすでにベテランの部類に属する歌手だったと思う。それなのにいつまでもアイドルのような初々しい印象を与える不思議なキャラクターだった。
この本を読むとそんな彼女のひたむきさが少しわかるような気がする。

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