2016年11月2日水曜日

司馬遼太郎『酔って候』

両国の江戸東京博物館で開催されている「よみがえれ!シーボルトの日本博物館」を見る。
二度来日を果たしたシーボルトが持ち帰った日本コレクション。これらはミュンヘンなどで何度か日本展として公開されたという。ヨーロッパの人々にとって日本を知るいいきっかけになったにちがいない(正直僕はさほど感激はしなかったけど)。
シーボルトが国外に持ち去ろうとしていたもののなかには、当時幕府のご禁制であった日本や蝦夷地の地図なども含まれており、やがて発覚する。いわゆるシーボルト事件である。このあたりは吉村昭の『ふおん・しいほるとの娘』に描かれている。
事件を明るみにしたのは間宮林蔵ともいわれている。同じく吉村昭の『間宮林蔵』にそんなエピソードが登場する。
司馬遼太郎の長編は少しお休みするとして、短編集を読む。
土佐藩主山内容堂、薩摩藩主島津久光、宇和島藩主伊達宗城、肥前藩主鍋島正直にまつわるエピソードを集めた短編集『酔って候』である。
表題作「酔って候」。山内豊信(容堂)は酒好きで片時も離さなかったといわれている。自らを鯨海酔候などと呼んでいた。てっきり江戸時代の人かと思っていたが、明治維新後まで生きた。
「伊達の黒船」は伊達宗城の命で蒸気船をつくった前原喜一(巧山)の話。手先の器用な職人がその器用さを認められ、宇和島城に呼びつけられる。長崎に遊学後、蒸気船を完成させ、その後士分に取り立てられる。
日本人は古くから海外から新しい技術を学び、持ち前の繊細な感覚でより高度な製品をつくってきた。いわゆる技術立国である。その縮図のようなエピソードが宇和島にあった。
薩摩に蒸気船建造の研究修業に出た帰り途、長崎に立ち寄った前原はシーボルトの娘楠本イネに会う。さまざまな日本の文化をコレクションして持ち帰ったシーボルトと西洋の叡智を収集しながら蒸気船を完成させた前原とのたったひとつの接点がここにあった。

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