2022年1月30日日曜日

吉村昭『海馬』

実家の裏手の商店街にお芋屋さんがあった。
幼少の頃だったので記憶はかなり薄れているが、甘味処のような店であったが、高級な店ではなく、庶民的な雰囲気を持っていた。ガラスケースのなかに大学芋があった。店先でさつま芋を蒸していた。夏になると店の奥に重たそうなかき氷機を置き、氷いちごなんぞを供していた。わが家からすぐ目と鼻の先だったこともあり、お芋屋さんのおばさんに声をかけるとうちまで持ってきてくれた。デリバリーなんてことばがまだなかった時代である。
まだ学校に上がる前、同じくらいの歳の子どもたちを引き連れて遊ぶモリくんという少年がいた。3つくらい年長だった。おそらくどこかの公園か何かに連れていってもらったのだろうが、仲間を見失い迷子になってしまったことがある。道もわからず泣きじゃくっていた僕を夕方、帰宅するため路線バスに乗っていたお芋屋さんのおねえさんが見かけた。そんな話が交番に届けられ、僕は無事に保護されたという。
それとはまた別の日にやはり迷子になって、交番のお世話になった(らしい)。そのときは歌の文句じゃないけれど、泣いて泣いてひとり泣いて、泣いて泣き疲れて眠るまで泣いていたという。名前を訊ねられ、自分の名前ではなく当時同居していた叔父の名前をなんどもくりかえしたらしい。電話帳にない叔父の名前をヒントにおまわりさんは「お宅に○○さんという方はいらっしゃいますか」と訊ね、ようやくうちにたどり着いたということだ。
もちろんまったく憶えていない。
この短編集に収められている「闇にひらめく」は今村昌平監督「うなぎ」の原作のひとつである。ひとつであるというのは、『仮釈放』という長編の要素と組み合わさって脚本化されているからである。
どうしてお芋屋さんのことを思い出したのか。なぜ幼少の頃、迷子の常習犯だったのかを思い出したのか。つい1時間ほど前のことなのにすっかり忘れてしまった。

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