2018年12月18日火曜日

朝倉かすみ他『泥酔懺悔』

お酒を少し飲み過ぎて、電車を乗り過ごすことが歳をとるほど多くなってきた。もっとも若い頃からときどきやらかしてはいたが。
ふだん電車に乗っていても滅多なことでは眠くなどならない。眠いときも電車のなかだと眠れない。飲酒後の自分になにがしか、自己制御できない力が働いているとしか考えられない。実に不思議なことである。
たとえば、であるが、僕は日ごろから各駅停車の列車にゆられて、どこか遠くの知らない町を旅してみたいと思っている。このことは意識的にそう思っているだけでなく、もっと深いところに根づいている思いなのかもしれない。お酒を飲むことによって深層心理というか潜在意識が呼びさまされるということか。
しこたま飲んで電車に乗る。空席があれば座る。酔っぱらっているから本を読んだり、ゲームをしたりしない。ぼんやり社内吊りの広告や車窓から夜の町を眺めている。しばらくすると身体の奥底から旅情に似た気分がふつふつと沸き起こってくる。どこからともなくジェリー藤尾の歌声が聴こえてくる。
「♪知らない町を歩いてみたい どこか遠くに行きたい」
気がつくと乗り過ごしている。国分寺だったり、立川だったりする(不思議なことに高尾まで行ったことはない)。そこはけっして知らない町ではないが、各駅停車に乗って三鷹で折り返し、夢からさめたら稲毛だったということもある。地下鉄東西線で東葉勝田台という駅にたどり着いたこともある。これは間違いなく「知らない町」であり「どこか遠く」である。
題名からして、著名な女性文筆家たちもけっこう「やらかしている」のだろうと思って頁をめくってみたが、案外そうでもない。お酒にまつわるエッセー、思い出くらいのお話でちょっと誇大広告的なタイトルだと思った。
通勤で使っている地下鉄では終点駅を利用している。夜、降りるときに座席で寝ている人をときどき見かける。近くを通り過ぎるとき、かすかにジェリー藤尾の声が聴こえる。

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