2010年5月26日水曜日

高村薫『レディー・ジョーカー』

テツさんはある広告会社のアートディレクターだった。
もうしばらく会っていないが、おそらくは引退されて悠々自適な日々を送っているのではないだろうか。
テツさんの若かりし頃の上司がその後ずいぶんたって子会社に出向し、ぼくの上司になった。そんな関係でテツさんはぼくの兄弟子的なポジションにいる人だった。
テツさんは角刈り頭の強面で、こう言ってはたいへん失礼ではあるけれど、アートディレクターっぽくない。どちらかといえばテレビドラマに出てくる刑事、それも主役の刑事ではなく、炎天下の山間の村々を汗だくになって聞き込みにまわる脇の刑事というイメージの人だった。
それでいて面倒見がいいというのか、その後ぼくが会社を辞めるにあたり、「やっていけるのか」とか「どこそこの代理店でクリエーティブを募集しているぞ」とか会うたびに声をかけてくれた。当時のぼくがよほど頼りなさげに見えたのだろう。
また定年間近な頃だったと思うが、ぷらっと遊びに行くとたいていデスクの前の小さなソファで夕刊をひろげていた。ぼくを見つけるとこっちへ来いと声をかけ、「いやあね、倅が新聞社に入りましてね、カメラマンなんですけど。最近写真が、ほら、たまに載るようになってね」と目を細めて、社会面の写真を指差す。たしかにそこにはテツさんのご子息の名前が印刷されている。【撮影・●●●●】と。
風貌といい、心根といい、あらゆる所作において人間味丸出しのいい先輩だった。
そのテツさんと最後に仕事をしたのが1998年。打合せの後、立ち寄った居酒屋で「最近本を読むのが楽しくなりましてね。『レディー・ジョーカー』読みましたか?最近読んだ本のなかではいちばんおもしろかったですよ。よく調べられていて…」とまるでご子息が本を書いたかのように微笑ましく話されていた。
それから10年以上たって、ぼくはようやく『レディー・ジョーカー』にたどりついた。
まるでノンフィクションを読んでいるような、ドキュメンタリーフィルムを見ているような精緻で客観的な描写についつい引き込まれてしまった。
テツさんが刑事になって出てくるかと思ったが、残念ながら会うことはできなかった。


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