2010年5月14日金曜日

村上春樹『1Q84 Book3』

両親の出身が千葉県の千倉なので、子どもの頃は毎夏祖父に連れられ、2週間近くを過ごした。今でも墓参りや法事などで足を運ぶことが多い。
内房線は君津あたりまでが複線化されているが、そこから先は単線区となり、俄然ローカル色が強くなる。そしてほとんどの特急が館山どまりであるように館山を過ぎるともうどこをどうみてもローカル色一色になり、ローカル色の人が歩いていてもまったく見分けが付かなくなる。
とはいえ父母の実家は千倉駅から安房白浜行きバスに長いこと揺られてようやくたどり着くようなところなので千倉の駅の周辺や駅の北側(安房鴨川方面)の印象はほとんどない。いわゆる千倉海岸と呼ばれている海水浴場はおそらく駅の北東側なのではあるまいか。
天吾の父親が亡くなった千倉の療養所がどの辺にあったのか(それはもちろんモデルが仮にあったとしての話だが)、そんなわけでまったくわからない。著者の想像の産物ではあるまいかという気もしている。なんでそんなことを考えるかというと天吾の父親が火葬される、そのシーンを読んでいるとぼくの曾祖母や祖父母が焼かれた火葬場とはあきらかに違うことがわかるのだ。たしかにぼくが子どもの頃の行った火葬場(地元では“やきば”という)はそう古くない昔に改築され、新しくなったが、それでもこの小説に出てくるほど都会的な雰囲気はない。
まあ、読んだ小説のなかに自分の知っている場所がでてきたからといって、そんなことで目くじら立てるほどのことでもあるまい。

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