2023年1月11日水曜日

柳田国男『遠野物語・山の人生』

子どもの頃、母から聞いた話。
母の実家は南房総千倉町の西端、白間津という集落にあった。白間津を越えると白浜町になる。乙浜という漁港のある集落である。白間津の東には大川という集落があり、さらに東の千田という集落で七浦という村を構成していた。白間津は七浦村のはずれであり、千倉町のはずれであった。
白間津と大川の境界あたりは以前は人家に乏しく寂しい地域であった。少し小高いところには洞穴があって、シタダメの貝殻が多く残されていた。シタダメというのはこのあたりでよく食されていた小さな巻貝でおそらく方言なのだろう。正式な名前は知らない。
母がいうにはこの洞穴に手長婆さんという老女が棲んでおり、夜になるとそこに座ったまま長い手を伸ばして磯から貝を取っては食べていたという。ちょっと怖い話でもあるが、おもしろい言い伝えがあるのだなと思ったものだ。と、思っていたら、南房総市のホームページに「南房総にまつわる民話」に紹介されていた。ずっと昔から手長婆の話はあったのである。母の話では残されていた貝殻はシタダメであるが、これを読むとアワビやサザエの貝殻がたくさん出てきたと書いてある。母に聞いた手長婆より、もう少し手が長く、美食家だったのかもしれない。
こんなふうに語り伝えられた話は日本全国、いや世界じゅうにあるだろう。文字にされていなかった語り伝えの物語を顕在化させた柳田国男は偉大だなあと思う。その仕事はいわば物語の考古学だ。かなりの量が発掘されてはいるのだろうが、時間という地層の中に埋もれている話もきっと多いことと思う。
そういえば高校時代の友人川口洋二郎は大学卒業後出版社に勤めている。以前は文庫の編集長だったが、その後柳田国男全集の編纂を担当すると言っていたような気がする。もしかしたら柳田邦男だったかもしれない。柳家小さんだったかもしれない。まあ、またそのうち会うだろうからそのときにでも訊いてみよう。

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