2022年9月4日日曜日

太宰治『新ハムレット』

カフェ・ギャラリー軽井沢はなれ山クラブで行われている中嶌龍文展を観る。
中嶌龍文という日本画家は知らなかったが、古来日本に伝わる大和絵という技法を用いて創作を続けている。今回の展示作品のほとんどはゴッホ作品の模写である。ゴッホは日本の浮世絵に強い関心をもち、いくつも模写したという。歌川広重の模写2作品と渓斎英泉の作品は現在も残されている。
ゴッホが広重を模写したように、中嶌龍文はゴッホを模写する。日本絵画に影響を受けた巨人の作品を日本絵画としてよみがえらせている。なかなかおもしろい企画だ。自画像はあくまでもゴッホの自画像であり、ひまわりもゴッホのひまわりなのだけれど、そのなかに中嶌龍文の味わいや筆づかいを感じることができる。作家の意志が感じられる。単なる写しではなく、模写という手法による創作なのだ。
小説の世界でも自身のオリジナルではない原作を模写する手法がある。模写というとただ書き写すだけみたいに思われるが、実際は新たな資料や着想を得て、書きなおしたものと解釈していい。
大作でいえば、吉川英治の『新・平家物語』がそうだろう。円地文子の『源氏物語』も現代語訳ではあるけれど、そこに書き手の読み方や解釈が生きている。幕末から明治維新にかけての歴史も多くの作家によって再構築が繰りかえされている。歴史というオリジナルがおもしろければおもしろいほど解釈は多様になって、新たなドラマが再生産される。
原作を読みなおして、新しい作品にしていくのは太宰治の得意とするところだ。『お伽草子』「右大臣実朝」「走れメロス」、いずれも太宰の作品として楽しめた。「新ハムレット」は(当然のことながら)シェイクスピアの名作戯曲の太宰版。随所に太宰らしさがいきている、などと思うほど僕は太宰治の読者ではないけれど、この作品は彼が監督をしたらきっとこんな映画になるのだろうと思わせてくれるものであった。

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