2021年11月14日日曜日

吉村昭『雪の花』

東京にはいくつか「いもあらいざか」と呼ばれる坂がある。芋洗坂とか一口坂と表記される。
「いもあらい」は、疱瘡(天然痘)にかかった患者が水で清めて神仏に祈願することだという。「いもあらいざか」付近には疱瘡神が祀られていたともされている。地名の起源などをたどる本にはだいたいそのようなことが書かれている。どうして一口坂を「いもあらいざか」と読むのか。疱瘡神が祀られていた社の地名が一口町だったなどという説もあるようだ。
疱瘡は恐ろしい伝染病だった。感染を防ぐ方法も治療方法もわからず、人びとはひたすら神仏にすがり、奇妙な伝承を信じた。疱瘡神は赤い色を苦手とするというのもそのひとつで、罹患した子どもの傍らには赤いものを置いたり、未患の子どもらには赤い下着や玩具、置物を与えたという。
天然痘は日本だけでなく、ヨーロッパでもアメリカ大陸でも大流行し、多くの生命を奪っている。それでも昔から頭のいい人がいたのだろう、天然痘に罹った患者の膿やかさぶたを未患者の体内に取り入れることで免疫をつくる予防法(種痘)が行われるようになった。紀元前1000年頃のインドでというから驚きである。種痘(人痘法)はイギリスやアメリカに伝えられたが、予防接種としてはまだリスクの高いものだった。
18世紀半ば、ジェンナーが登場する。天然痘に罹った牛(牛痘)の膿を接種することで天然痘は安全に予防できるようになった。ジェンナーの牛痘法は世界にひろまったが、日本に定着するまでは時間がかかった。ロシアに拉致された中川五郎治が松前で行った記録があるが、これは五郎治がその方法を秘匿したためひろまることはなかった。
越前福井藩の医師笠原良策らの尽力で種痘(牛痘法)はようやく一般に普及する。ジェンナーに遅れること半世紀。日本は疱瘡の脅威から逃れることができた。
いつしか「いもあらいざか」と聞いて、不思議な名前だと思うようになっていた。

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