2020年7月10日金曜日

清水義範『秘湯中の秘湯』

雨降るなか、南青山まで出かけた。
道すがら30年くらい前に読んだ本をもういちど読んでみる。
最初に読んだときは抱腹絶倒だったことを思い出す。案内文、報告文、取扱説明書、翻訳文など、あらゆる文章を遊び倒している。「ジャポン大衆シャンソン史」などは電車のなかで笑ってしまった。文庫では安西水丸が人間の真面目さが生み出すおかしさであると解説している。
6年前に叔父が亡くなり、葬儀といおうか、お別れの会、みたいなことが行われたときのことだ。場所は南青山の某斎場である。僕がついて行ければいいのだが、母がひとりで行くことになった。新橋で東京メトロ銀座線に乗り換えて、青山一丁目で降りて歩けばいいと思っていたが、果たして駅からの10分ほどの道のりがわかるかどうか。説明するのも面倒だ。わかったところで母が道順を理解しなければ、本人も不安だろうし、こちらも心配だ。もっと簡単な道順はないものだろうか。
人によっては千代田線の乃木坂が近い、六本木に出てタクシーに乗るといい、表参道からタクシーだなどという。基本つましい生活をしている母のことだから、どこそこでタクシーに乗れという指示は理解こそすれ納得はしないだろう。
と思っていたら、待ち合わせ場所のすぐ近くにバス停があった。品川駅で降りて、新宿西口行きの都営バスに乗ればいい。今の世の中だから、ネットでバスの乗り場も降りるバス停も地図上で確認できる。問題はそれをどう母に伝え、理解させ、納得させるかである。
とりあえず、仕事の合間に品川駅に行ってみた。そしてバス停までの道のり(歩道橋を渡る)をたしかめ、バスに乗った。目的地までのイメージを目に焼き付けたのだ。そしてバス停からの道のり、所要時間などつぶさに母におしえた。
「周到な手紙」という短編が収められている。母親をひとりで上京させる息子の、まさに周到な手紙を読んで、6年前のことをなつかしく思い出した。

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