2018年8月27日月曜日

司馬遼太郎『跳ぶが如く』

今年は明治150年という節目の年だ。
幕末から維新にかけての立役者は誰か、となれば意見のわかれるところだろう。坂本龍馬という人もいれば、桂小五郎、勝海舟を推す声もある。教科書どおりにさまざまな見解を集約すればやはり西郷なのだろう。NHKの大河ドラマでは「西郷どん!」が放映されている。それがなによりもの証といえる。ちなみに明治100年にあたる1968年は「竜馬がゆく」だった。
幕末維新は長い日本の歴史の中でも比較的新しい変革の時代であるにもかかわらず、史実だけを追っても解釈することが難しい。創造の手助けが必要になる。教科書では理解できなかった歴史が小説家の視点を通して、鮮明でリアルなものとなる。もちろん事実か否かというのは定かではないけれども、僕たちは厳密な真実だけを追い求めているわけではない、何ごとにおいてもそうだが。
幕末の世に思いを馳せるにあたって、吉村昭の長編小説は大いに力になってくれた。『長英逃亡』、『ふぉん・しいほるとの娘』、『桜田門外ノ変』、『生麦事件』など。忠実に資料をたどる吉村もさることながら(あるいはそう思わせるように書いているだけかもしれないが)、幕末維新の核心となる部分で司馬遼太郎の果たした役割は大きい。司馬にしても創作としての歴史をでっち上げたわけではなく、綿密に資料を読み込み、取材を重ねてドラマのディテールを構築している。遠くから歴史をながめる読者を刺激してやまない。
ご存知のとおり、『跳ぶが如く』は「西郷どん!」の原作ではない。舞台は維新後(征韓論から西南戦争)である。まず読むべきは林真理子の原作『西郷どん!』なのだろうが、司馬遼太郎から読まないとどことなく落ち着かない。というわけでまずはこの本からということになった次第である。
それにしても維新後の西郷吉之助に何が起こったのだろう。大河ドラマの西郷は幕末にあって維新に向かってまっしぐらに突き進んでいる。

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