2013年10月14日月曜日

西崎憲『飛行士と東京の雨の森』


文章を書くというのは面倒なことだ。
文で身を立てるような仕事はしていなのだが、文書をつくる作業は日常的にある。自分で書くこともあれば、誰かに書かせてチェックする場合もある。自分のことは棚に上げて、人の書いた文章はなんでこうも気になるのだろうと思う。
たとえば、ある部分では漢字だったのが、別のところでは平仮名になっている。気になる。
会社名が書かれている。それは正しい表記なのか。気になる。
ちなみに「キヤノン レンズ」で検索すると「キャノンではありませんか?」とアラートが出る。これは検索エンジンがわかってないんじゃなくて、圧倒的大多数が「キャノン」で検索するからだ。言葉は多数決の世界だからあながち間違いとは言えないけれど、人様の名前を誤記するのは憚られる。
地名が書いてある。四谷は四ツ谷か、四ッ谷か。御茶ノ水はお茶の水じゃなかったか。市ヶ谷は市谷じゃなかったか。気になる。どうでもいいようなことが気になる。
先日読んだちくま文庫『誤植読本』に校正のルールはきつくしないほうがいいというようなことが書いてあった。たとえば、漢字にするか、開くかは前後の文章から判断して読みやすい方を選べばいいし、それによって読みにくくなる改行、改頁が行われるのであれば無理に漢字で統一したり、仮名で統一したりしないほうがいい。たしかにそのとおりだ。少し気が楽になった。
とある雨の日。会社に行くのに遠まわりをしてみた。四ツ谷駅を出て、迎賓館の方に歩いた。昔の都電3系統が専用軌道に移って、喰違トンネルをくぐり、弁慶橋の方へ坂道を降りていく方向だ(というか都電3系統を出した時点でこの説明はまったくわかりにくくなっている)。今でいう紀之国坂交差点あたりがかつてトンネルのあったところで、上智大学グランド南端(そこに弓道場がある)から弁慶濠北端にかけてこんもりと木が生い茂っている。
ウェールズの少女ノーナが飛行士に出会った森だ。

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