2011年2月13日日曜日

向田邦子『男どき女どき』


向田邦子はラジオ、そしてテレビの脚本を書いていた。放送作家と呼ばれるジャンルの物書きだった。彼女は単なる文章家ではなく、時間という制約の中で書いていた。そのことが読んでいてよくわかる。無駄がないのだ。
広告の文案づくりも似たところがあって、同じ単語をなんども使わないようすぐれたコピーライターは訓練されている。いちど状況を説いたら、それ以上深入りはしない、反復もしない。それが放送作家出身である向田邦子の明快さだ。
この本、『男どき女どき』は『思い出トランプ』の続編として連載開始された創作短編だった。残念ながら連載が完結する前に向田邦子は飛行機事故で世を去っている。ちなみにこのブログでは簡単にカテゴリー分けをしている。本書後半のエッセーもたいへん魅力的で捨てがたいのであるが、ここでは“日本の小説”に分類させてもらう。この本を刊行した人がつけたタイトルを尊重したかたちだ。
昭和の戦前、戦中は一般には暗い過去として脚光を浴びる時代とはいえない。向田邦子のよさは多くの人が避けるようにしてきた昭和的な生活に光をあて、そのなかにきわめて日本人的な生活様式や家族観なるものを書き残している点にあるといえる。関川夏央は「少女時代から転校を繰り返していた向田邦子は、土地に愛着しなかった。いわゆる古里を持たなかった。そのかわり失われた、昭和戦前という時代とその家族像に深く愛着した」といっている(『家族の昭和』)。
それはともかく、「鮒」、「ビリケン」をはじめとして短編は秀逸。一見寄せ集め的に並べられたエッセーの数々も小気味いい向田節で、読むものの心に響く。

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