2010年8月26日木曜日

内田百閒『百鬼園随筆』

高校時代は炎天下でバレーボールの練習をしていた。
昔の話ではあるが、けっして大昔のことではない。バレーボールは屋内スポーツで公式戦は体育館で行われていた。もちろん6人制が主であった。
ぼくの通っていた高校は都心の真ん中にあったが、広さという点では恵まれておらず、体育館も小さかった。なんとか月に一度とか、週に一度とか体育館を使える日もあったが、基本は校庭に石灰でラインを引き、ネットを張って練習した。
敷地の狭いぶん、郊外の多摩川べりに合宿所があって、野球グランド、サッカーグランド、テニスコート、そしてバレーボールのコートがあった。もちろん屋外に、である。夏休みに行われる合宿練習では、ここに寝泊りして一週間朝から晩まで練習に明け暮れる。ぼくの在学中は幸か不幸か、天候に恵まれ、連日猛暑の中、楽しく練習させていただいた。諸先輩方に話を伺うとやはり合宿期間中は天候にすこぶる恵まれていたそうだ。
今では母校はなくなって新しい学校になってしまったが、広い体育館があり(バレーボールのコートが2面とれる体育館をぼくは“広い体育館”と呼んでいる)、多摩川の土手近くにある合宿所も以前に比べて縮小したようだが、そこにも体育館が(もうかなり以前に)つくられ、生徒諸君は幸か不幸か快適な合宿練習を行えると聞いている。
何の話をしようとしてたんだっけ?昔のことを思い出しているうちに忘れてしまった。
この夏はちょっと不慣れな仕事をした。主に電波媒体の広告の仕事をしているので印刷媒体の仕事というのは不慣れなのである。不慣れな仕事というのは疲れるものである。そうした疲れを癒すには、なんといっても人間くさい書物がいちばんである。
内田百閒は『阿房列車』でもお世話になったが、偏屈を通り越して、ぼくには真っ当な人に思える。なるほどと思える。もちろん借金ばかりしようなどとは思わないが、不思議なリスペクトを感じさせる心地いい作家のひとりである。


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