2010年8月19日木曜日

川端康成『雪国』

“上”とつくものに多少の抵抗感がある。
上天丼とか上カルビとかにだ。なかには“特上”なるものもあって、仮に経費でまかなえるとしても分不相応な気がする。ただ、特上があるメニューの上は比較的頼みやすい。
ときどき大阪風のうなぎが食べたくなって、銀座のひょうたん屋(6丁目と1丁目に店がある)に行くことがある。6丁目の店は松・梅・竹と昼時だけの丼があり、1丁目は上・中・並で並はお昼だけとなっている。もちろんいちばんリーズナブルなランクを注文する。それでも1,000円を超えるわけだから、贅沢な昼食だ。
ごくごくまれに豊かな気持ちになりたくなって、上のランクのメニューを頼むことがある。それでも松や上は頼めない。それを注文する人は人格高潔にして聖人君子のような人でなければいけない(と、勝手に思っている)。金さえ払えば何を食ってもいいかというとけっしてそうではない(はずだ)。客としてじゅうぶん鍛え上げられた客だけが特上の資格を得るのである。
子どもを連れて行く焼肉屋で特上ばかり注文する父親はだいじな教育の機会を失っている。特上もあるけれども、今日は上カルビにしておこう。特上はいつか、しかるべき時までだいじにとっておこう。こう言うのが教育である。
言い訳がましいが、そう思っている。
鉄道ファンの書いた本や旅行記に引用される率が非常に高い川端康成の『雪国』であるが、もちろん鉄道の本でもなく、旅の話でもない。上越地方が舞台なので吉幾三の“雪國”とも関係はないようだ。
精緻な描写力が生んだきわめて映画的な作品であると思う。かつて映画には岩下志麻が駒子役を演じたらしい。島村役の木村功もあわせて見事なキャスティングだ。



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