2022年11月17日木曜日

日野行介『原発再稼働 葬られた過酷事故の教訓』

「デジタル化」「がん治療」「原発」の3つに共通していることは、はじめたらずっと続けていかなければならない、終わりがないということだ。
コンピュータ。CPUが速くなる。メモリもそれにともなって容量が必要になる。ハードウェアの高速化はソフトウェアの可能性を高めていく。ほんの短いスパンでこうした進化が続く。性能がよくなっても価格はすぐに落ち着いて安価になる。10年前のPCならば何とか使えるかもしれないが、20年前のものだともう使い物にならないだろう。がん治療も同様に次から次へと新しい治療法が生み出される。放射線治療だとか抗がん剤であるとか、くわしいことはわからないが、治療の選択肢は増え、高度化しているようである。
原子力発電に関しては、現時点での知見ではどうにもならない。燃料廃棄物の処理でさえままならない。頭のいい人たちが考えついた未来のエネルギーだったのかもしれないが、プラスチック同様、その先どうする?という視点が圧倒的に欠けていた。もちろんこの先、世の中というか科学技術がどれほど進歩するかわからない。環境にやさしいプラスチックもできるかもしれない。パッパッとふりかけるだけで放射能の放出をなくしてしまう物質がつくられるかもしれない。放射能に汚染された水を海水でうすめて、海に放出するなんて子どもじみた発想もなくなるかもしれない。でももうはじめてしまった。
これら、終わりなき旅の根本にあるのは経済をまわさなければいけない、成長させなければいけないという考え方だ。地方の鉄道は100円稼ぐのに何万円もかかるから、廃止しようなどと議論されている。インフラってその地域に住む人たちの利便性をはかることが主眼じゃないのか。そこから利益を生み出そうという発想が健全な感じがしない。経済をまわさなければ人々に利便性や快適な生活を与えられないのだろうか。
何か間違っているような気がしてならない。

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