2021年4月2日金曜日

芝木好子『女の肖像』

杉並に馬橋という町があった。
JR中央線高円寺駅と阿佐ヶ谷駅のまんなかあたり。線路をはさんで南北にひろがる一帯である。今は高円寺北、高円寺南と阿佐谷北、阿佐谷南という町になっている。旧町名をとどめている杉並区立馬橋小学校は高円寺北、馬橋稲荷神社は阿佐谷南にある。小学校に隣接して馬橋公園がある。元は気象庁の気象研究所だった。その前は陸軍気象部だったという(空襲で焼けた)。
芝木好子と聞くと下町の作家というイメージがある。
『隅田川暮色』『葛飾の女』『洲崎パラダイス』といった東京の東側が舞台になった作品が多いせいかもしれない。自身は王子で生まれ、浅草で育ったという。年譜によると昭和17年に結婚し、高円寺に移り住んだ。以後死ぬまで高円寺で暮らした。当時、町の名前は馬橋だったに違いない。
鷹狩りに訪れた徳川家光が高円寺という寺院で休憩したといわれている。寺の名前が知れるようになり、村の名前が高円寺村になったという。江戸時代初期の頃から高円寺は高円寺だったのである。馬橋という地名のいわれは知らないが、家光一行がまたがっていた馬と関係があるのではないかとひそかに思っている。
高円寺には関東大震災後、都心から多くの人が移ってきた。とりわけ深川など下町からの転入者が多かったと何かの本で読んだことがあるが、忘れてしまった。商店街などを歩くとどことなく下町風情を感じるのはそのせいではないかと思っている。出久根達郎の『佃島ふたり書房』も佃から高円寺に移転している(と、うっすら記憶している)。
この町に移り住んだ芝木好子は下町の方角に向かいながら、それらの町を舞台にした創作を綴ったのだろう。この本はたしか画商として自立する女性が主人公だった。銀座の画廊が舞台だった。なにぶん、読み終わってから7~8年は経っているので詳細はおぼえていないのである。
この本はテレビドラマになったという。これもまたおぼえがない。

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