2017年12月18日月曜日

出久根達郎『二十歳のあとさき』

月島のおじちゃんの家には風呂がなかった。もちろんその頃月島で内風呂のある家なんてアフリカのサバンナでペンギンを飼う家より少なかったと思う。
おじちゃんと銭湯に行ったことがある。
この本の前編である『逢わばや見ばや』で月島の銭湯では当たり前のように見知らぬどうしが背中を流し合っていたと出久根達郎は書いている。もちろんそんなことは知らない。
誰におそわったわけでもなく、おじちゃんの背中を洗ってあげた。
その日は泊まることになっていた。風呂から戻って、夕飯。おじちゃんは一杯やりながら、「よしゆきはちっちゃっけえのに気が利くんだ。俺は背中を流してもらったんだ」と何度もおばちゃんにくりかえしていた。
おじちゃんとおばちゃんには子どもがなかった。昭和20年代の終わり頃、母はふたりを頼って東京に出てきた。おじちゃんの家はその頃新佃にあり、母はその家からぽんぽん蒸気で隅田川を渡り、明石町の洋裁学校に通った。おそらくふたりとも自分の娘のように接してくれたにちがいない。その息子である僕をかわいがってくれたのも然もありなんという気がする。
夕食後、西仲通りを歩いた。
ほろ酔い加減のおじちゃんは「よしゆき、欲しいものがあったら言ってみろ、好きなものを買ってやる」という。さっきおばちゃんに本を買ってもらったばかりだし、欲しいものはなかった。でもそう言うとおじちゃんがかなしそうな顔をすると思ったので、思い切ってキャッチャーミットが欲しいと言ってみた。
スポーツ用品店が当時の西仲商店街にあった。
ぴかぴかのミットを手にとり、右手でこぶしをつくってパンパンとたたいてみる。革のにおいがする。不思議と自分の左手になじむ気がする。
「でもやっぱり要らない、まだ下手くそだから」
いくらなんでもそんな高価なものを買ってもらうことに臆したのだろう。
そしておじちゃんのほっとしたような、さびしいような顔を見上げた。
昭和40年代の月島。
二十歳を過ぎた出久根達郎がいた。

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