2017年1月25日水曜日

森田誠吾『魚河岸ものがたり』

銀座も築地も川の町だった。
昭和30年ごろの地図を見ると築地市場界隈には市場橋、門跡橋、海幸橋と3つ橋があったことがわかる。いずれも支流にわかれた築地川に架かっている。
市場橋と門跡橋は交差点にその名前を残している。市場橋には橋の面影は残っていないが、築地と小田原町をつなぐ門跡橋は川筋が築地本願寺裏手の駐車場になっていて、わずかながら橋のあった時代をしのばせる。築地場外市場のにぎわう通りはもんぜき通りと呼ばれている。つい最近までアーチ橋の形をとどめていたのが海幸橋で築地市場の場内と場外をつないでいる。
古い地図には市場内を線路が通っている。汐留貨物駅から伸びている引込線のようだ。子どもの頃、佃島に住んでいた親戚を訪ねた帰り、父の運転するクルマが新大橋通りにあった踏切を渡ったことを思い出す。
この小説は着想の段階では『海幸橋』というタイトルだったという。
主人公吾妻健作は謎の人物である。その秘密は最後に明かされるのだが、物語は築地市場、いわゆる「かし」のさまざまな人間模様を描いている。長編小説であるとともに連作短編でもある。大事件が起こるわけではない。近所の噂話程度のエピソードがつみ重なっていく。
時代背景はいつぐらいだろう。過激をきわめた学生運動が挫折した直後から10年ほどだろうか。おそらく築地界隈のみならず昭和の人情味がそこかしこにあふれていた時代だったと思われる。
どことなく既視感をおぼえた。
山本周五郎の『青べか物語』を思い出したのだ。青べかも浦安という町に溶け込んだ先生がそこに住む人々の日常を見つめる話だ。河口の町のにおいが共通しているのだろうか。同じような風の流れを感じる。
川本三郎は町歩きの基本は、《ただ、静かに「昔の町」のなかに、姿を消すことである》と語っていた(『東京暮らし』潮出版社2008)。
吾妻健作も、蒸気河岸の先生も昔の町にひっそりと隠れたたずんだ時の旅人だったのかもしれない。

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