2016年12月16日金曜日

池内紀『東京ひとり散歩』

焼香が苦手だ。
客観的に自分が焼香しているシーンを見たことはないが、たぶんちゃんとできていないと思う。背筋をきちんとのばして丁寧におじぎして、はやからずおそからず適度なスピードで三回、無駄な動きなくこなせる人がいる。自分はおそらくああではないのだ、きっと。
自分の順番になる。遺影に向かって一礼する。もともと猫背なのでじゅうぶんにおじぎできているかわからない。せせこましく頭を下げて焼香台に向かっているような気がする。出だしで躓くと、以後の所作だけでも完璧にしようと気持ちが焦る。合掌して右手でつまんだ香をおでこの近くに持っていく。そのとき左手はどうするんだっけ。右手に少し添えるようにするんだっけ。それとも左手の位置は「気を付け」の位置でよかったんだっけ。気がつくと左手が中途半端に空中に漂っている。さっき姿美しい焼香をした男性はどうしていたっけ。
そんなことを思いめぐらせながら、三回香を落す。爪が伸びていると爪の間に香が残る。親指人差し指中指をこすりあわせるように香をふり落とす。ああなんて俺はみっともないんだと思う。
何ごとに関しても基礎ができていないのだろう、今さら気づいても遅きに失しているのだが。
池内紀はカフカの翻訳で知られるドイツ文学者だが、旅行記や町歩きの著書も多数上梓している(このブログを書くようになってからたぶんこの本が4冊目だと思う)。文章も着飾ったところがなく、おしゃれな書き手だと思う。
銀座、両国、紀尾井町…。訪ねる先も日常的な東京だ。それぞれの町で見つけた小さな発見をひけらかすこともなく、うんちくをしつけることもなく、おそらく散歩するものとして適切なスピードと所作と感じ方で歩いていると思われる。旅をすること歩くことの基本的な姿勢がいい人なのだ。
先日、そんなことを南房総行きの高速バスの中で海を見ながら考えた。
叔父の葬儀に列席した。残念ながら僕がめざしている理想の焼香にはほど遠かった。

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