2011年3月13日日曜日

安西水丸『大衆食堂へ行こう』


たいへんな地震だった。
赤坂見附で鴨せいろを食べ、赤坂エクセル東急ホテル1階にあるコーヒーショップでぼくはレイモンド・チャンドラーを読んでいた。すぐにおさまるだろうとはじめは楽観していたが、次第に揺れが大きくなる。店員が誘導し、外に出された。地下鉄も止まったのだろう、赤坂見附駅からどっと人があふれ出ていた。しばらく地面も揺れていたし、信号機はもちろんビルも揺れていた。
仕事場はさほど遠くないので歩いて戻り、テレビを視た。
たいへんなことになっていた。
家族の安全は確認できたが、品川にある実家に電話がつながらない。心配なので赤坂から歩くことにした。乃木坂から、西麻布、広尾を通って、中原街道、第二京浜国道と道はわかっている、はずだった。夜の東京の街はこんなにも歩いてみんな帰宅するのかとびっくりするくらい人がいた。
一箇所道を間違えた。外苑西通りから中原街道に出たつもりが山手通りだった。逆行し、さらに道に迷った。およそ1時間のロス。精神状態がやはりまともじゃなかったんだろう。
歩きなれていると思っている道を間違えると精神的にショックが大きい。
安西水丸が大衆食堂めぐりをしたのが2000年から2005年にかけて。このなかの少なくない数の店が閉ざされている。そのことがちょっと哀しい。
3時間歩いて実家にたどり着いた。父はテレビをつけっ放しにしたまま寝ていた。

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