2010年12月17日金曜日

小林信彦『昭和の東京、平成の東京』


12月になって、暖かい日があり、寒い日もある。寒いといっても今のところ超一級の寒波の到来はなく、気圧配置が冬型になると北西風が強くなり、空気が乾くが、それも一時のことで気温は平年並みだったりする。
ついこのあいだまで暑くて暑くてどうしようもなかったのが信じられないくらいだ。特に休日の体育館でそのことを痛感する。少しラリーをするだけでじゅうぶん汗をかけた夏場と違って、この時期はなかなか身体があたたまらない。準備運動も夏場より入念に行う必要がある。休憩するにしても上着を着るとか、トレーニングパンツをはくなどしないとあっという間に冷え切ってしまう。
ここのところ3球目攻撃、5球目攻撃、7球目攻撃といったパターン練習を繰り返している。基本練習であり、実戦的な練習でもある。もっと新しいパターンを試してみてもいいと思うのだが、新しいことより、今やっている基本練習の精度を上げていくほうが大切な気がしている。一応、それなりに緊張感を保ちながら、反復しようと心がけてはいる。
筆者小林信彦の生まれた現在でいう東日本橋あたりはかつて両国と呼ばれていたそうだ。
両国というとぼくのように両親が房総半島の出身だったりすると両国駅をすぐに連想する。かつて房総の玄関であった両国駅である。そんなわけで隅田川の西側が両国というのは少々違和感があるのだが、隅田川をはさむ地名、ゆえに両国なのだという。その後、川の向こう側だけが両国と呼ばれるようになったらしい。
浅草橋駅の近く、神田川が隅田川に合流するところに柳橋という緑色に塗られた小さな橋がかかっているが、それを渡ると住所は東日本橋となる。大きな通りに出ると左手に両国橋が見える。
昭和から平成へ。下町に生まれた筆者の思慕を随所に読みとれるすぐれた随想である。

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