2008年4月15日火曜日

チャールズ・ディケンズ『デイヴィッド・コパフィールド』

もう何年前になるだろうか。四谷四丁目にある小さなCM制作会社で働くようになった頃だから、かれこれ20年以上だ。どういう訳か、その仕事場の近くの本屋で新潮文庫の『デイヴィッド・コパフィールド』を4冊まとめて買ったのだ。今ぼんやりと当時のことを思い出そうとしているのだが、たしか村上春樹の小説の中で『デイヴィッド・コパフィールド』という書名を目に留め、それで読んでみようと思ったのかもしれない。はたまた古い映画で『大いなる遺産』だか『二都物語』だかを観て、それで咄嗟に読みたくなったかもしれない。それで、だ。ちょうどその当時、これもとても曖昧な記憶にすがっているのだけれど、『デイヴィッド・コパフィールド』は絶版になっていたようにも思えるのだ。文庫本で絶版になると神保町あたりでは途端に値がつりあがる。もし街の本屋で在庫があれば、そいつに飛びつかないことにはとんだ散財になる。とかなんとか思って買ったのかもしれない。
それにしてもぼくと『デイヴィッド・コパフィールド』の結びつきというのがなんともはっきりしない。先述したような接点があったのかもしれないし、なかったかもしれない。どのみちディケンズといえば『クリスマス・キャロル』くらいしか読んだことはなかったし、そもそもあまりイギリス文学にも親しんでいたわけではなかった。せいぜい子どもの頃、『ロビンソン・クルーソー』とか『ガリバー旅行記』を読んだくらい。後はモームとかジョイスくらいかな。
いずれにしても昔から本棚には『デイヴィッド・コパフィールド』が4冊、ずっと長いこと置かれていて、いつか読むのだろうとその背中だけをながめていた。
ここ何ヶ月か、仕事がスムースにいかなくて、たまの休みの日もくよくよ思い悩むような日が続いていた。なにかで気分転換しなくちゃと思っていた矢先、またしても古い文庫本の背が目に飛び込んできた。そんなわけで何の予備知識もないままこの本を読み始めたわけだ。
少し読みすすめて、どうやら『デイヴィッド・コパフィールド』っていうのは主人公の名前でそのデイヴィッドが成長していく物語だということがわかってきた。言ってみれば『ジャン・クリストフ』と同じだ。『魔の山』とか『罪と罰』みたいなテーマ的な題名ではない。だから主人公が渡辺一男だったら『渡辺一男』という題名になる小説ってことだ。
まあ、それはともかく、幼少期の不遇な家庭環境から脱却し、幾多の出会いと努力を積み重ね、作家として、人間として成長していく自伝的な小説だ。やたらと長い物語ではあるが、主人公と彼をとりまく人物が再三あらわれ進展していく展開は読んでいて飽きさせない。
学生の頃は『ジャン・クリストフ』とか『新エロイーズ』とか『エデンの東』とか長い小説をよく読んでいたが、この歳になって読む大河小説も悪くはないなと思った。


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