2025年10月21日火曜日

伊藤 亜紗(編著) 中島 岳志 若松 英輔 國分 功一郎 磯崎 憲一郎 『「利他」とは何か』

今月から実家の片付けをはじめている。母が病のためこの家を離れてもうすぐ6年になろうとしている。その間片付けようなんてこれっぽちっちも思わなかった。理由あって施設で生活している、それなりに頑張って生きている。それでも母の生活はまだこの家にあるとずっと思ってきた。いつかは必ずここに戻ってくるとありえないことを信じていた。
まずは台所まわり。6年間まったく使われることのなかった調味料を処分した。そのまま袋に入れて出せるもの、水に流してしまうもの、油は新聞紙やぼろ布に吸わせて捨てた。容器は洗って瓶はガラス類、プラスチックはまとめて資源回収にまわした。
週にいちどごみをまとめて翌日の回収に出す。かなりのごみ袋を出したが、一向に片付いた感じがしない。この50平方メートルと少しの延べ床面積にどれほどの荷物が仕舞われているのだろうか。
一年程前に読んだ本で利他という概念に出会った。利他は利己の対義語ではあるが、単なる裏返しではない。前のめりの利他は善意の押し付けになってしまうし、「情けは人の為ならず」的な発想から生まれた利他は利己に集約していく。著者たちはいずれも未来の人類研究センター(東京科学大学未来社会創成研究院×リベラルアーツ研究院)のメンバーで政治学、哲学を専門とする者、随筆家や小説家もいて、専門は異なる。それぞれの視点から利他が考えられている。
伊藤亜紗は「利他とはうつわのようなもの」と語り、中島岳志は「利他は私たちのなかにあるものではない、利他を所有することはできない、常に不確かな未来によって規定されるもの」としている。若松英輔は「何の力によるのかは別にして、利他は人が行うのではなく、生まれるものである」という。国分功一郎の「中動態から考える利他」はほとんどわからなかった。能動態でなく受動態でもない中動態という概念に惹かれたが。
利他は奥が深い。実家に残された荷物のようである。

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