2022年3月1日火曜日

永井荷風『日和下駄』

仕事場がずっと麹町にあった。現在は築地に移転している(どのみち在宅勤務なので仕事場の場所は今となってはどうでもいいことだが)。
麹町の頃は時間があると仕事終わりに番町、四谷、市谷など坂道を上って下りて散策しながら帰ったものだ。今日は市谷を歩こうとか飯田橋まで歩こうだとか、東京の真ん中を起点にするとどこへでも歩いて行けた。今思えばただの徘徊である。
なかでも気に入っていたのは四谷の学習院の裏あたりから、須賀町や若葉町を歩くルートである。鉄砲坂を下り、商店街を少し歩いて戒行寺坂を上る。須賀神社に立ち寄ってからもとの道に戻って(須賀神社から荒木町をめざすこともあった)、闇(くらやみ)坂を下る。坂下には若葉公園という小さな児童公園がある。そしてさきほど通った商店街に戻ってから、赤坂御所の方に向かう。JR中央線のガードと首都高速道路を過ぎると左手に公園がある。みなみもとまち公園という。かつて鮫ヶ橋と呼ばれた一帯である。
四谷にはもうひとつ暗闇坂がある(こちらは暗坂あるいは暗闇坂と表記するようだ)。東京メトロ丸の内線四谷三丁目駅の北側、愛住町から靖国通りに下る石段である。靖国通りをわたると富久町。隣接するのはかつて市谷監獄のあった市谷台町、そして永井荷風が住んでいた余丁町である。夕刻であれば余丁町から西向天神をめざして夕陽を見るのもいい。余丁町の先は昔フジテレビがあった河田町。河田町を越えると若松町、喜久井町でここまで来ると夏目漱石の世界だ。
10年以上前に岩波文庫の『荷風随筆集』を読んだ。それ以来の「日和下駄」である。
荷風が歩いたところはだいたい歩いている。荷風の足跡をたどる試みはいくつも書籍化されていて、たとえば川本三郎であるとか、毎日新聞に連載されていた大竹昭子による『日和下駄とスニーカー』など世の中に物好きは多いとわかる。
『日和下駄』は現代の江戸東京切絵図なのである。

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