2021年2月20日土曜日

岩田豊雄『海軍』

南房総の七浦村(現在の南房総市千倉町白間津)で1942(昭和17)年に生まれた叔父は、母と8つ違う。幼少の頃、大きくなったら何になりたいかと訊ねると兵隊さんと元気よく答え、「若い血潮の予科練の七つボタンは桜に錨」と歌っていたという。
このあたりは、戦争末期本土防衛の拠点として、特に館山には航空基地や砲台が多かったという。隣集落の白浜にはレーダー基地もあったらしい。そんな環境下で子ども時代を過ごした世代にとって、たとえ東京におけるような頻繁な空襲がなかったとはいえ、戦争は身近なできごとだったに違いない。
先日介護予防の本を読んで、近隣に公園がある地域では運動不足になるお年寄りが比較的少ないという調査があることを知った。環境をつくることがたいせつなのだ。
昭和の初期から、日本は軍部主導の国家になっていく。ナショナリズムに燃えた指導者が強い国づくりをめざし、それに呼応するように世論が後押しをする。当時はあたりまえのことだったかもしれないが、まぎれもない負の連鎖がはじまったのである。
岩田豊雄は、ペンネームではなく本名でこの軍神の物語を書いた(さすがに大衆娯楽作家獅子文六名義では書けなかっただろう)。主人公谷真人は、真珠湾攻撃の際、特殊潜航艇に搭乗し戦死した九軍神のひとり、横山正治がモデルとされている。戦争の時代に生まれ、戦争に染められたまま死んでいった22年の短い生涯だった。
著者岩田豊雄はこの作品で朝日文化賞を受賞したが、終戦後は戦争協力作家として「追放」されかかる。愛媛県の宇和島に疎開したのはこうした圧力から身を隠すためだったという。戦争中ではなく、終戦直後に疎開するというのはおかしな話だが、それなりの理由があったのである。
『てんやわんや』『大番』など宇和島での生活が著者におよぼした影響ははかり知れない。この『海軍』による逃亡が獅子文六の作品にいちだんと磨きをかけたのだろう。

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