2018年11月28日水曜日

トルーマン・カポーティ『誕生日の子どもたち』

11月は忙しい。
まず初旬に自分の誕生日がある。気圧配置が冬型になり、冷たい北風がその年はじめて吹く、そんな季節だ。誕生日ないしはその前後の休日は好き勝手に過ごす。野球を観に行く。町歩きをする。写真を撮る。ビールを飲む。もっと若い頃は自分へのプレゼントとしてレコードを一枚買ったりしたものだ。
中旬になると明治神宮野球大会がはじまる。ここ何年かは仕事を休んで平日も観戦している。学生野球の締めくくりの大会である。最後の試合、大学の部の決勝戦が終わるとネット裏のアマチュア野球ファンたちが「よいお年を」とか「センバツ(甲子園)で会いましょう」などとあいさつをして帰路につく。野球の大晦日みたいな大会だ。
長女の誕生日や母の誕生日もある(もう大騒ぎをすることもないけれど)。それ以外にも飲み会など集まりも多い(今年は高校のクラス会があった)。ただでさえあわただしい12月より11月の方がゆっくり話ができそうな気がするからだろうか。
その間に来年の準備もはじまる。仕事場の先輩の年賀状はもう十年以上も前からつくっている。ちょっとした絵を描いたり、タイポグラフィーをデザインしたり。仕事場の年賀状も任されている。干支にちなんだビジュアルを考える。毎年のことだがどのみちたいしたデザインではない。
トルーマン・カポーティの『誕生日の子どもたち』を再読する(「無頭の鷹」「誕生日の子どもたち」「感謝祭のお客」は川本三郎訳でも読んでいるので再々読になる)。
少年時代のカポーティ(バディ)も11月にはミス・スックと感謝祭の準備をしたり、フルーツケーキやクリスマスツリー、そしてプレゼントにする凧をつくるなど忙しかったことがうかがえる。
来年も、再来年も、そろそろツイードのジャケットに袖を通そうか思う11月になったらこの本を読もう。そのうちミス・スックとバディからフルーツケーキが届くかもしれない。

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