2018年6月30日土曜日

近藤勝重『13歳から身につける一生ものの文章術』

以前読んだ大野晋の『日本語の教室』(岩波新書)に、本を読ませて感想文を書かせたり、営業上必要な報告論文や商業用の手紙を書かせる研修をある企業で行ったところ業績が格段にアップしたというようなことが書かれていた。社員の知識不足や言語能力の欠乏には言語を中心とした訓練がふさわしいという。
世の中の問題は大概の場合、言葉の問題だ。そのためには読書と作文は欠かすことはできない。反論の余地はない。
でも僕は思うのだ、そうは言っても、と。
たしかに言語の力は何ものにも代えがたいけれど、人間には向き不向きがある。本を読めと言って読める人間とそうでない人間がいる。それも訓練だといえばそれまでだが。作文に関しても同様。絵が描ける人と描けない人がいるように文章が書ける人と書けない人がいる。どちらもまったくかけない人はいないだろうが、大人だってもらったメールに返信をするのが苦痛な人は多いはずだ。
僕はかろうじて本を読む習慣と人並み程度の作文が書ける能力にめぐまれた(ついでに言えばろくでもない絵だって描ける)。そのせいでこれまで本を読めなかったり、作文が書けない人のことを考えたことがなかった。どうしてこの人はものごとを知らないのだろう、口では立派なことをしゃべるのに拙い日本語しか書けないのだろう、そういう人に少なからず出会ってきた。本を読まなくたって、文章が書けなくたって、映画やドラマや演劇を人一倍観て、自身に刺激を与え続けている人もいるし、作文以外にも自分を表現する手段を持っている人もいる。たいせつなのは人それぞれが自分の生き方を持っていることであり、そのことをちゃんと認めてあげることだ。
ときどき日本語に関する本を読む。
13歳はとっくに過ぎてしまったけれど、作文の基礎を教わった。この本で作文が書けるようになっても書けない友だちの気持ちがちゃんとわかる子どもになってくれたらいいと思いながら。

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