2017年11月16日木曜日

野口悠紀雄『知の進化論』

ゴッドフリー・レッジョ監督「コヤニスカッティ」を観たのは20代だった。
82年公開のこの映画がテレビで放映され、βマックスのビデオテープに録画した。たたみかける衝撃的な映像にフィリップ・グラスの音楽が印象的だった。こうした撮影手法を微速度撮影というんだと教えてくれたのは当時働きはじめたテレビコマーシャル制作会社の先輩だった。
たとえば1秒刻みに撮影した画像をつなげて動画にする。昔のムービーは1秒24コマだから24秒ぶんの動きが1秒に凝縮される。人はちょこまか歩く。夜のハイウェイでは光が走り、飛行場の上空に光が飛ぶ。
1枚1枚の写真をつなげて動画にするという点で微速度撮影はアニメーションといえる。動いていないものを動かすか、動いているものをさらに動かすかが異なるだけだ。1秒間に24コマのフィルムをまわすムービーに比べるとフィルムにかける予算を大幅に省くことができる。そもそもアニメーションはそうした経済観念にも支えられていた。フィルムは高価なものだし、現像して、プリントして、編集して。まわせばまわすほどお金がかかるのだ。
とはいえこの手法もなかなか素人にできるものではなかった。カメラを固定する。露出をはかり、できあがる映像にイマジネーションをはたらかせてインターバル間隔を決める。撮影した一コマ一コマの画像現像してつないでいく。けっして一般的ではない。
ところがデジタルカメラが普及して誰にでも簡単にできるようになった。カメラの機能にインターバル撮影というモードが加えられた。また動画編集ソフトやインターバル撮影した画像を動画にするアプリケーションも増えてきた。こうした背景もあって、ネット上では微速度撮影した動画を頻繁に見るようになった。今では微速度撮影などとはいわない。タイムラプス動画と呼ばれている。デジタルはカタカナなのだ。
知識をオープンにすることで新たな可能性が切りひらかれる。要するにそんな内容の本だ。

0 件のコメント:

コメントを投稿