2016年4月19日火曜日

司馬遼太郎『坂の上の雲』

司馬遼太郎を読みはじめた。去年の夏。
幕末あたりの話からはじまって、戦国時代にさかのぼるか、明治につきすすむか思案の末、『坂の上の雲』をとりあえずのゴール地点と定めた。
まだ二十歳になったばかりの頃。時代小説や大衆小説になんら興味の持てなかった頃、高校時代のバレーボール部のK先輩(『峠』を読めとすすめてくれたのは三学年上のK先輩、こちらは八学年上である)が『坂の上の雲』だけは絶対読めと言ってくれたのをずっとおぼえていた。それまで司馬遼太郎と接する機会はなかったが、もしなにかのはずみで読むようになったらぜひ読みたいと思っていた(というより記憶のひだの中にすりこまれていたような気がする)。『竜馬がゆく』、『花神』、『世に棲む日々』、『峠』とたどってきた司馬街道はおのずとこの本に向かっていたともいえるだろう。
秋山好古、真之兄弟と正岡子規が主役である。
が、テーマは明治という時代である。現代に生きる日本人にとって明治とはいかなる時代であったか、明治を経験した日本がどのように近代に向けて変貌をとげていくのか。司馬遼太郎が生涯をささげた問題はこの時代にあったのだろう。
であるから、秋山兄弟や子規の物語ではない。彼らはたまたま同時代に生きていたにすぎない。ときに主役は乃木希典であったり、大山巌であったり、東郷平八郎であったりする。あるいはクロパトキンやロジェストウェンスキーらでさえ、この壮大なドラマにおいて主人公を演じている。
司馬遼太郎はあたかも3Dスキャナーで読み取るように明治を、日露戦争を読み解いていく。陸軍から、海軍から、参謀本部から。内政不安などを背景にしたロシア兵の士気など。描かれているのは日露戦争時代の日本とアジアの精細なジオラマのようである。敵陣の背後にまわる騎兵隊、一糸乱れぬ航行をくりかえす連合艦隊。これはやはり読まないではいられなかっただろう。
先だって、K先輩に会った。
ようやくロジェストウェンスキーが対馬までたどり着きましたよと話したら「おまえ、まだ読んでなかったのかよ」と言われた。

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