2016年1月19日火曜日

池井戸潤『下町ロケット』

生まれ育った町に工場が多かった。
「こうじょう」ではない。「こうば」である。小学校の同級生も工場の子が多かった。彼らはたいてい野球が上手かった。子どもの頃は不思議に思っていたけれど、今考えてみれば若い工員さんたちがキャッチボールの相手をしてくれたり、河川敷で楽しむ娯楽の野球におそらく連れて行ってくれたにちがいない。そしてたぶん、道具だってそろっていただろう。
そんな工場の子が、今思い出せるだけでもクラスに3人いた。工場で何をつくっていたのか、まるで知らない。近所のM君の家では鉄を削っていた。薄く細いばねのような削りくずがドラム缶に何杯も置かれていた。旋盤やボール盤があった。そうした工作機械の名前を知ったのもずっと後のことである。M君の家で働いていた職人さんにベーゴマを削ってもらった記憶がある。あっという間の作業だった。
ところで品川の大井町や戸越のあたりになぜ小さな工場が多かったのだろう。やはりその一帯が工場地帯だったからか。
区名に川が付く品川は川の町だ。目黒川と立会川。
立会川はほぼ暗渠になってしまったが、三菱重工、日本光学、さらには国鉄大井工場と川沿いに大きな工場があった。目黒川もしかり。再開発されて景観が一新した大崎駅界隈は工場しかなかった。
これらの工場に供給する部品が同級生の家でつくられていたのではあるまいか。そして彼らはキャッチボールで鍛えられていった。
僕の記憶に残る町工場のイメージにくらべると佃製作所はなかなか立派な工場だ。ちゃんとした中小企業であり、零細ではない。しかも夢を持っている。M君の家をはじめとする当時の町工場にだって夢はあったと思う。きっともっとささないな夢だっただろうが、それはそれでいい時代だったと思う。
単行本が出て、直木賞を受賞した頃からずっと読みたかった一冊。文庫本を待っていた。ようやく出た。テレビドラマのはじまりになんとか間に合った。

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