2016年1月12日火曜日

司馬遼太郎『花神』

暮れに下町探検隊のK隊長から、仕事納めが終わったらどこか歩きましょうとお誘いを受け、千住界隈を歩いた。
北千住駅で待ち合わせて、ゆるゆると南千住方面へ。
千住大橋を渡る。
大きな橋ではないが、アーチが美しい。上流側に水道橋、下流側に日光街道のバイパスが走っていて、遠くからその景観を眺めることができないのが残念だ。
南千住駅に出る。
小塚原回向院、延命寺、JR貨物隅田川駅を見て、大林酒場へ。反省会と称してひたすら飲んだ。
桂小五郎が吉田松陰の埋葬のためここに来たとき、腑分け(解剖)をしていた村田蔵六に出会ったとこの本には書かれている。司馬遼太郎の創作で史実ではないらしい。
千住探検の反省会以降の記憶はまったくなくなってしまったので、場所を九段に移す。40年前、靖国神社にほど近い高校に入学した。大村益次郎に出会ったのはそのときである。以来、その人がいかなる人であったか、知ることもなく時はながれた。
高校時代の友人Tは大河ドラマで「花神」を 視て、さらに司馬遼太郎も読んでいたという。こちらは何も知らない。坂本竜馬も新選組も去年読んでようやくわかったくらいである。これほどの知識量の格差があるなかで、よくぞここまでTと友だちづきあいをしてきたものだと思う。
実は『竜馬がゆく』、『燃えよ剣』を読み終えたあと次に読むなら『花神』、『世に棲む日日』、『峠』がいいとすすめてくれたのもTである。
この頃、蘭学を志すということは医学を学ぶということだったが、世の中に可及的に必要とされるのは軍事力の強化だった。医学から兵学へ方向転換していくことは自然の成り行きでもあった。西洋近代の世界を覗き見るにはオランダ語という窓しかなかった時代だ(大村益次郎よりやや時代は遡るが、高野長英もそうだった)。
とはいえ、医学も国防も近代国家の成り立ちに欠かすことのできない普遍的な学問だ。
大村益次郎は、靖国神社の真ん中に立つべくして立った人だった。



0 件のコメント:

コメントを投稿