2010年11月14日日曜日

フョードル・ドストエフスキー『地下室の手記』

フォアハンドが苦手だった。
と書いてみると、バックハンドが得意なのか、これまで苦手だったフォアハンドを克服して今では得意なのかと誤解をまねく表現ではあるが、要は卓球の基本技術であるフォア打ちが弱かった、あるいは多少の改善のきざしはあるが、弱い。と、まあそういう意味である。卓球をなさらない方にはフォアが弱いといってもイメージしにくいかも知れない。野球でいうとキャッチボールが弱いとか、サッカーでいえばパスが下手、みたいなことかも知れない。
これは自覚症状もあり、また多くの人から指摘されていた課題であった。とはいえ、いちばんベースとなる技術だけにどう克服していけばいいのかが難しい課題でもあった。
夏の終わりから秋にかけて(といっても今年はしばらくずっと暑かったのでどこに線をひけばいいのかわかりにくいが)中級から上級クラスの方とスマッシュ練習に取り組んでみた。スマッシュ、ロビング、スマッシュ、ロビングとつながる限り相手コートに強いボールを叩き込むのだ。5分もやれば、汗びっしょり、大腿筋は痛くなるし、三角筋やら広背筋やらくわしいことは知らないがとにかく筋肉が痛くなる。そんな練習をなんどか繰り返しているうちにいつしか強い打球が打てるようになっていた。もちろんまだまだ不安定ではあるに違いないが、今までより格段といいボールが出るようになった。
また野球のティーバッティングのように目の前でボールをワンバウンドさせそれを強打する練習もやってみた。できるだけ強く、スイングは小さく速く、打球の方向を安定させるようにターゲット(ペットボトルなど)を置いて。そうこうするうちにフォアが強くなった。
案外頭で悩んでいるより、やってみたほうがはやい、ということがスポーツには往々にしてあるものだ。
さて、この本は自意識過剰の青年の独白である。哲学的というか病的というか、特に第一部は抽象的で難解。主人公の“俺”はどことなくサリンジャーの『ライ麦』の主人公みたいだと思った。ホールデン・コールフィールド、だっけ。
この作品には後に続く大作のプロトタイプ的なエピソードや登場人物が見てとれるという。それはなんとなくわかるような気がする。

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