2008年3月18日火曜日

村上春樹『中国行きのスロウ・ボート』

ぼくの生まれは東京の品川区で、子どもの頃からその界隈で過ごしてきた。親戚も佃島とか赤坂に住んでいたこともあって、大井町から有楽町くらいまでは字を読むより先に駅名を憶えた。山手線でいえば、東南側。
高校生になって、中央線の飯田橋まで通うようになって、少しは地理は開けてきたが、それでも山手線の北側は苦手な地域だった。
要は何をいいたいかというと、実は、高田馬場が昔から苦手だったのだ。どう苦手かというと、方向感覚がなくなるのだ。プラットホームに立つとどちらが山手線の内側でどちらが外側かわからなくなる。早稲田通りの小滝橋方面が早稲田側に思えてしまうのだ。そんなわけでなにかの用事で高田馬場に行くとよく反対方面の山手線に乗ってしまう。池袋あたりで気づくのだが、面倒なのでそのまま駒込、田端、日暮里、上野を通って、帰ったものだ。
ぼくが「中国行きのスロウ・ボート」をはじめて読んだときの印象は、そんな高田馬場の光景だった。実際は新宿駅で中国人の女の子を反対方面の山手線に乗せてしまうくだりがあるが、ホームが内回り外回りで分かれている新宿駅でそんなことはないだろう、などとつっこみを入れつつ読んだものだが。

昔話をもうひとつ。大学に通っていた頃、中国からの留学生がいて、彼の身の回りの世話をしたり、相談相手になるという役を学校から言われて引き受けることになった。それで1年間でいくらかの報酬ももらえた。そのころはほとんど学校には行かず、アルバイトばかりしていたから、彼とはほとんど会うことはなく、とはいうものの後ろめたい部分もあったので一度だけ喫茶店で昼食をおごってあげ、通りいっぺんの会話をした。

『中国行きのスロウ・ボート』は村上春樹の最初の短編集で、世の評価としては『羊をめぐる冒険』以前に書かれた荒削りで未完成な前半4編とその後に書かれ、完成度が高く、洗練された後半4編が好対照をなすと苦言を呈されているようだが、ぼくはこのときはじめてコンビを組んだ安西水丸の装丁もあいまって、村上作品のなかでももっとも好きな一冊で、なかでも冒頭の表題作「中国行きのスロウ・ボート」は、そんなわけで忘れられない短編だ。
先日何年ぶりかで読んで、苦い昔を思い出してしまった。。

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