2006年3月20日月曜日

速水敏彦『他者を見下す若者たち』

仕事がひと段落したら、奥多摩でも散策してみようかと思っている。
青梅線で終点の奥多摩駅に出て、渓流沿いを歩く。吊り橋をいくつか渡って、奥多摩湖畔に出る。おそらくこのあたりにはうまい蕎麦屋があって、山菜料理などをつまみながら、蕎麦をすするのだろう。時間があれば大岳山くらいにチャレンジしてもいい。帰りには温泉にでも浸かってゆっくりしたいものだ。
てなことをシミュレーションしているこのごろ。時刻表をながめて、旅した気分になっていた子どもの頃のようだ。
で、本日読み終えたのは速水敏彦著『他者を見下す若者たち』。
惜しい気がする。とても惜しい気がする。いい着想なんだけど、研究紀要に載せる小論に近いようでいて、未完成だし、新書(実際、新書なんだが)で世に広く問うというスタンスにしては明快さに欠けるかな。
ひとつには「仮想的有能感」というキーワードが言い当ててはいるんだろうけど、世の中的なキーワードとしてはこなれていないことが挙げられる。もっとSPA的な共感、共有可能なワードはなかったのかと思うわけだ。教育心理学者という立ち位置が著者の発想とその展開を阻害したのかもしれない。また、著者によれば「仮想的有能感」の研究はまだ途上であるという。そのせいか「であろう」とか「思われる」が多用され、全体に文章の切れがよくない。それは真面目な教育心理学者である証とも受けとれるのだが、もっと思い切り、仮説を列挙した挑発的な「読み物」をめざしてもよかったんじゃないかとも思うのである。

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