8月になると戦争関連の本を読もう気持ちになる。ましてや今年は昭和100年、戦後80年という節目の年だからその思いは強い。去年は8月になって大岡昇平『レイテ戦記』を読みはじめた。月内で読み終えることができず、結局11月までかけて読んだ。戦記を読むのはそう簡単ではないのである。
今年はガダルカナル島の戦いを読んでみた。
なぜ日本軍がジャングルに覆われたこの南の島に固執したのかは不勉強ゆえよくわからない。アメリカとオーストラリアを連合させず分断するための拠点だったのかもしれない。本書の題名ではないけれど本当に遠い遠い島である。地図で見ると南方の一大拠点であったラバウルとガダルカナル島は近そうに見えるが1000キロ離れている。零戦で往って帰ってくるのが精一杯の距離である。ガダルカナル島を占領するならどうしてもっと近くに基地を設けなかったのか。
考えてみれば昭和の戦争は不思議なことだらけだ。国家の存亡を賭けた日露戦争で勝利し、狂喜乱舞した日本はそこから多くを学ぼうとしなかった。少なくとも工業力の低さを何としてでも補わなければならなかった。より科学的で合理的な戦争を学ばねばならなかった。身に付けたのは皇軍不敗という根拠なき過剰なる自信といかなる事態をも突破できる強靭な精神力のみであった。太平洋戦争開戦前に大陸ではノモンハン事件が起きる。ソ連軍の圧倒的な火力を目の当たりにする。それでも日本陸軍は反省も学びもせず西欧諸国との武力格差を助長してきた。兵站すら学習していない。
もちろんこうした見方はこれら戦争を歴史として捉えているからのことであり、当時の日本人の大半は皇軍不敗を信じていたわけだし、作戦というものは絶えずうまく行くものとして立てられていたのである。昭和という時代はずいぶん遠くなってしまったが、その時代のいちばんの恐ろしさは無見識で無反省な精神性にあったのではないかと思っている。
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