2024年4月10日水曜日

今尾恵介『地名の楽しみ』

沓掛(くつかけ)という地名がある。街道の、たとえば峠の入り口や暴れ川の近くなど交通の難所に多いという。旅人はそこで草鞋(沓)を新しくし、履きつぶした草鞋を木に掛けて、その先の安全を祈願したというのがその由来である。
ときどき散歩に出かけるのだが、清水という町がある。かつて井伏鱒二が住んでいた。地名の起こりとなった湧き水のある場所に案内板があり、この辺りが以前、豊多摩郡井荻村沓掛と呼ばれていたことが記されている。古い地図で見ると昭和40年くらいまでたしかに沓掛町という町が存在している。昭和7年に東京市に編入されるまで杉並町と井荻町の境界があったあたりである。
今は住宅地になっており、沓掛町と呼ばれるようになった言われはまったくわからない。土地はほぼ平坦である。町の北側に妙正寺川が流れている。今は護岸が整備されているが、最上流の地域でもあり、川幅は狭い。もしかするとかつては暴れ川だったのかもしれない。古くは街道があって、多くの旅人が行き交ったのだろうか。その面影は皆無である。
地名は面白い。江東区はかつて深川区と城東区が合併した。下町で水路が多くあるので深川と呼ばれる川があったのだろうと思っていたら、そうではなくその辺りを開拓した深川八郎右衛門にちなむという。城東区には砂町がある。見渡す限りの砂地だったのだろう思っていたが、この地も砂村新左衛門という人が開拓したことで砂村と呼ばれるようになり、その後、大正時代の町制施行で砂町になってしまったというのだ。
今、東京で人気の町、恵比寿も恵比寿ビールの工場があり、出荷を担う駅ができ、その後地名も恵比寿になってしまった。それまであった小さな町の名前は消えてしまった。
地名は先人からのメッセージと言われる。古い地名を訪ねる旅は面白い。沓掛という地名は小学校の名前に遺されている。杉並区立沓掛小学校である。古い地名を辿るのに小学校の名前は貴重だ。

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