2017年6月2日金曜日

内田百閒『阿呆の鳥飼』

黒沼真由美というアーティストがいる。
学生時代は油画を専攻していた。大学院修了後テレビCMの制作会社で企画にたずさわりながら、どちらかといえば立体の造形に関心が移っていったようだ。正直に言ってひと目見ただけではよくわからないオブジェをつくっていた。
あるとき目黒寄生虫館を訪れた際、何か閃いたのだろう、レース編みでサナダムシを編み上げた。以後レース編みを駆使してミジンコやらセミやらクラゲなどをつくっている。
もともと生き物が好きだったのだろう。隻眼の猫を飼い、競馬中継を丹念に視聴し、セミの抜け殻を集めていた。疾駆する競走馬の筋肉の動きをスケッチしたりしていた。
普通の人には見えないものが見えている。それが芸術家の芸術家たる所以ともいえるが、そういった資質を彼女は持っていた。動きから構造が見えてくる。その逆もある。しくみから動きが見えてくる。もちろんそんなことは凡人には見えてこない。長いこと同じ職場で仕事をしていたが、幸か不幸かさして影響を受けることもなった。ただひとつ黒沼真由美の影響をあげるとすれば内田百閒を読みはじめたことかもしれない。
『阿房列車』を皮切りに内田百閒との旅がはじまった。
鉄道や列車はもともと好きだったので思いのほか苦も無くこのとっつきにくい先生と親しくなることができた。用もないのに列車に乗りに行くことが正当性のある行為であるということもおしえてもらった。百閒先生は黒澤明監督「まあだだよ」でかつての教え子たちに「せんせい!せんせい!」と呼ばれている。僕もおそらくそのなかのひとりだと思っている。そして先生は鉄道だけでなく、猫だけでなく、小鳥に関しても阿呆だとこの本におそわる。そういえば映画の中で先生は鳥かごをだいじそうに運んでいたっけ。
この本には小鳥に限らず、小動物を愛でる百閒先生の気持ちが随所に描かれている。思わず涙が浮かぶ。笑みがこぼれる。まるで黒沼真由美の毎日を見ているようである。

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